ある一幕

僕がパソコンに触れ始めたのは2001年ごろだったと思う。

 
 
父親はそのころからMacユーザーで、当時家には「パフォーマ」という、いかにもコンピュータと言い表して差し支えないほどにコンピュータ然とした真四角なフォルムをしたMacがあり(僕は「パフォーマ君」と呼んでいた)、それともう1台、父親の仕事用のノートパソコンがあった。だからパソコンはわりに身近な存在だった。
僕はパフォーマ君をよく借りてお絵描きソフトで遊んでいた。小学校の図工の時間に「”何でもいいから”1枚絵を描いてきてください」という課題が出たとき、僕は迷わずそのソフトで描いてプリントアウトした絵を学校に持っていった。嫌なガキだった。

 

 
パフォーマ君は僕のファースト・コンピュータであり、ファースト・Macでもあった。もちろんその頃のOSはバリバリのMacクラシックだったから、現在のMacよりも随所にあたたかみのある造りだった。お正月になると、起動画面に「あけましておめでとうございます」と表示されるのも好きだった。いまでもその理念みたいなものは好きだ。そこは父親も同じであるようで、毎年、正月に酔っぱらうとパフォーマ君を特に意味もないのに起動させてその文字を拝む。電気も付けず、真っ暗な部屋の中で。パソコンが完全に立ち上がるまでの3〜4分、それは1年で一番やるせない時間のような気がする。
 
ADSLから光回線に乗り換えた時からネットにはつながらなくなってしまったし、スペック的にもすでに使い物にならなくなってはいるが、未だに部屋の隅に鎮座している。時代の遺りものだ。
 
話がそれるが、OS10以降のMacしか使ったことのない人にはスティーブ・ジョブスの真のすごさはなかなか理解できないと思う。クラシックOSのMacは実にディープで海賊的だった。生意気にもこう言ってみる。
 
 
お絵描きソフトにも飽き、ネットにつながらなくなってしまったパフォーマ君とは泣く泣く別れ、別のパソコンでネットをするようになった。Youtubeニコニコ動画も普及していなかったし、たまに個人で動画を公開している人もいたけど重た過ぎてなかなか見ることができなかった。だからほぼ必然的にHTMLベースの個人運営のWebサイトをめぐることになる。ゲーム大好き少年だったのでその周辺のサイトとかだった気がする。しかし不思議と攻略サイトではなく、ゲーム音楽関連のサイトを中心に廻っていた気がする。ピアノを習い始める前(もしかしたら少し習い始めていたかもしれないが)だったのに、音楽にその時から関心だけは持っていたんだなと思ってなんだかほっこり。楽譜サイトとか、MIDIサイトとか、開発者の方のインタビュー記事とか。海外サイトの英語も頑張って読んだりした。
誰に伝わるか分からないが、とたけけミュージックを高い再現度でMIDI化しているサイトを見つけた時には本当に驚喜した(きっと誰にも伝わらないんだ)。
 
その頃の(という言い回しを何度も使っていて語彙とレトリックの貧弱さを痛感している)Webサイトは、HTMLタグを1つ1つ打ち込んで作ったような素晴らしく手作り感に満ちあふれたものがほとんどだった。背景が単一色だったり、無駄に斜体になってたり、透過処理してなかったり、画像のピクセルがとても粗かったり。僕は文化的に「2000年代初頭」というのがとても重要な意味を持っていると思っている。そんなWebサイトは間違いなく「2000年代初頭」ライクなものだったし、そう、それはまさに1つの文化だった。そしてWebページをコツコツと作っている人たちをかっこいいと思った。
任天堂のサイトもそういえば手作り感にあふれていた。今でもニンテンドウ64のソフトのページを開くと当時の空気感が画面越しに伝わってくる。だから、DSが発売された頃にスマートなスタイルのホームページになってしまったのを僕はちょっと残念に思った。
 
小学生の僕はそれらのサイトにとても憧れた。
特に好きだったのが、団体が運営しているわけではないのにやたら体系化されていて情報量の多いサイトだった。よくもまあこんな大変な作業をやり遂げたもんだなあ、と感心しきり。階層構造。一日では閲覧しきれない、そうしたサイトを見てはそこに夢を感じた。自分の中に「Webページ=夢の切れ端」という定理が生まれた。いくらでも世界が広がっているように思えた。
 
20代になった今、純粋にそんな風にはなかなか考えられない。やはりあの頃は平和だった。
 
 
小学生〜中学生の時によく訪問していたサイトをふと開いてみると、一方的な旧知の友人に再会したような感覚を覚える。多くのよき思い出がそうであるように、おもちゃ箱のフタを開けると一種の安らぎを感じる。決して不毛なものではなく。
 
いつもいつも昔を愛でていては前に進まないが、それでも振り返ってしまうのは自分がその頃を楽しく過ごしていたからだろうな、と考えて僕を納得させる。もう人生の4分の1が過去となったのだから、少しくらいいいんじゃないか。純化されているだけだと言い切ることもできるが、逆にそれはとても望ましいことなのではないか。
 

「俺達は今、あの頃夢見たような、大人になっているだろうか・・・」

 
「今の俺達を見て、あの頃の俺達は笑うだろうか・・・」
浦沢直樹20世紀少年』第1巻)
 
うーん、それにしても、懐かしい。
 
 
桜井さんが運営していた、「速報スマブラ拳!!」とかね。
 
 
イッツ・ソー・ビューティフル。